結構大変な半生だった猫ジャンキーのひとりごと。

うちの猫(大型元野良、短いカギ尻尾)の話や、物心ついた頃は毎日母から殴る蹴る、高校に入ったら姉が統合失調症発症して精神的サンドバッグに、そしてそれらが落ち着いたら鬱・強迫性障害のコンボに続いて悪性リンパ腫(縦隔原発大細胞型B細胞性リンパ腫)が発覚、という三十路女なので、そのへんの経験から何かお役立ち情報を発信したりもできたらなー、といったブログです。

少し善逸くん考

 善逸くん熱がぐわっときている為に鬼滅語りメインになってる気がしますが正気に返ったら負けだと思う(真顔)
 先日の造影剤付きCTの結果まだ出てませんし……悪性リンパ腫の事より善逸くんか猫の事を考えていた方が元気出ますし……と言い訳。

 鬼と戦う事には泣き喚くのに、誰かを庇って怪我をする時は恐怖に打ち勝てるんですよね。禰豆子ちゃんの入った箱を伊之助くんから庇った時といい、遊郭潜入編で上弦と鉢合わせた時といい。
 「目の前で誰かが傷付くから」というのは勿論大きいでしょうが、「敵を倒すのでなく、自分が痛みに耐えればいいから」というのもあるんじゃないかな……と、ふと思いまして。

 歴史に詳しくないので、大正時代に親の居ない子供がどんな目に遭っていたかを正確に推し量る事は出来ませんが、辛く苦しい日々だったろうとは推察出来ます。
 子供が泣こうが逃げようが、真っ当な親なら見限ったりせずに励ましたり叱ったりするはずです。奉公先などでそういった光景を目の当たりにした事もあったでしょう。

 他の大多数の子供にあって、自分には無い『絶対的な安心感』。

 加えて、現代以上に子供の権利が軽視されていたあの時代、大人から日常的に暴力を振るわれる事もあったのではないでしょうか。
 「蹲って痛みに耐える」事に慣れた結果、自分の身を省みず誰かを庇って受動的に暴力に耐える事の方が、能動的に敵を斬り伏せる事よりも敷居が低くなってしまったのでは。

 自己肯定感の低さから敵を斃せるなんて思えない、だから鬼と戦うのが怖い。
 自己肯定感の低さから自分の怪我より他の人を優先する、だから誰かを庇っての負傷には耐えられる。

 善逸くんの一見矛盾したああいった言動には、そんな理由があるのではないか……と、そう思ったのです。

#鬼滅の刃 #我妻善逸