足場が無い不安と焦燥
幼い頃からずっと家族からの愛を盲目的に信じていて、それがあったから幼稚園や学校で嫌がらせを受けても「家族が居てくれるからいいもん!」と思っていられたんですよ。
でも、家族のそれは『愛情』ではなく、『思い通りに振る舞う人形への愛玩』だったんですよね〜。
おっと、「そんな思い込みで家族を否定するなんて!」とか思わせてしまったかも知れませんが、事実なんですよこれがまた。残念な事に。
内容は伏せますが物心ついた頃には親からセクハラされてたんで、6、7歳くらいの時に「やめてほしい」と泣いて訴えたんです。
そしたら、「可愛がってやってんのにそんな風に言うなら、もう二度と口を利かない!!」と怒鳴られましてね〜。
まー他にも、親の機嫌を最優先にしないと悪い事してないのに暴力・暴言とかね。ありましたからね。
逆に言うと、悪事であっても親の機嫌を損ねなければ注意すらありませんでした。
幼稚園くらいの頃、親と出掛けてる時に同じ園の女の子に会って、その子が体調崩して鼻血出したのが記憶に新しくて。悪気なく笑いながら「鼻血女〜」って言ったんですよ。
「そんな事言ったら親も殴るわ」と思いました? 毒親を舐めちゃいけません。
叱るどころか、親も一緒になって笑ってました。
家事を手伝おうとして失敗したらぶん殴るのに、道徳的に問題のある言動は、自分に向けられなければ気分を害さないのでスルー。むしろ一緒になって笑う。
というか、親自身が積極的に私の友人や姉の同級生の保護者を笑いものにしてましたね。
だもんで、未だに自分の言動で意図せず周りを不快にさせていないか不安になります。
……おっと、話が逸れましたね。失敬。
他にも、暴力や怒号が怖くて親の機嫌を伺うあまり反応できなかったりすると「こんな事も解らないお前は知的障害者だ!!」と怒鳴ってきたり、事あるごとにそう言う割に専門家に診せるとかは一切なかったり。
そういった諸々も、「自分にとってはトラウマだけど、親なりの愛情からだったんだろう。恨んではいけない」と言い聞かせて生きてたんですが……ある日、その幻想が壊されました。
心配してた故の言動どころか、自分が何やったのか忘れてやがりました。
その上、「覚えてないけど、ただの冗談でしょ〜。真に受けないでよ☆」。
親を明確に憎悪するようになったのは、多分あの瞬間でしょうね。
ありもしない『家族の愛』という幻想で外部から心を武装していたので、私の精神は防御力皆無の丸裸となり、体調が崩れる程心が弱くなってしまいました。
家族や幼い頃の否定は、自分の根幹への否定となり、一気に足元が崩れて不安定になります。
ですが、家族の愛玩動物か操り人形に向ける類の支配欲を愛情だと誤認したままだったなら、私は自分の人生を歩めなかったでしょう。
少なくとも、おぞましい毒親の被害に遭っている人達に、心を寄せることが出来るようになりました。
親を許すつもりは一切ありませんし、「真っ当な愛をくれる親の所に生まれたかった!! 人生を返せふざけるな!!」という思いも正直ありますが、それでもありもしない愛情に一生縋り付くくらいなら今の方がずっとマシです。
余談ですが。
萎縮して親の問いに答えられなくなった私に知的障害があると怒鳴りつけてきた母親は、彼女自身が軽度の知的障害者だと数年前発覚しました。
「悪口は自己紹介」という言葉を聞いたことがありますが、事実かも知れませんね。